一橋の知名度
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名前:
名無しさん@一橋
:2004/02/11 04:14
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誰か上げてくれ。俺の友人..
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194
名前:
匿名さん
:2004/08/15 09:38
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●石原慎太郎
(いしはら・しんたろう)
東京都知事
一九三二年兵庫県生れ。一橋大学法学部卒。五五年、在学中に執筆した『太陽の季節』で第三十四回芥川賞受賞。六八年参議院初当選。七二年衆議院初当選。以後、環境庁長官、運輸大臣を歴任。九五年、衆議院議員辞任。現在は文筆業に専念。
政治の舞台に登場するのは、六八年の参院選に当選を果してからだが、現在『諸君!』に連載中の「国家なる幻影 わが政治への反回想」によれば、その少し前に訪れたベトナムでの体験が引き金だったという。
七三年には中川一郎ら若手議員とともに渡辺美智雄を代表とする青嵐会を結成。いわゆる「自民党タカ派」を形成した。中川氏が急死したあとは、旧青嵐会の勢力をになって、少数ながら自民党内の一角をしめた。
近年、石原氏がとくに注目されたのが『「NO」と言える日本』(盛田昭夫氏との対論、光文社、89年)がミリオンセラーになったときである。アメリカの議会は、これを無断で翻訳して配布、国内でもこの本をめぐって論争が起った。
石原氏がこの本のなかで主張していたのは、アメリカの安易な日本批判に屈することなく、日本は外交において「NO」のカードをうまく使えということだった。
しかし、アメリカの議会では、共著者がソニーの盛田昭夫会長であったこともあって、新しい「反米主義の台頭」ではないかと恐れたのである。
また、政治家として石原氏は官僚政治との対決姿勢を深め、『かくあれ祖国』(光文社、94年)では、予算編成権を大蔵省から剥奪し官邸に移すことを主張した。
「今日の行政システムを思いきって一皮むくために、一点突破全面拡大の術策として、大蔵省の予算編成権を官邸に置く」とした。
九五年、馴れ合い政治を招来した責任が、早くから自社連合を唱えた自分にもあるとして、突如、衆議院議員を辞職。そのさいも、現在の政治は「宦官政治」となってしまったと発言して物議を醸した。(『Voice』95年8月号)
芥川賞受賞の『太陽の季節』は、選考委員会で意見が激しく対立。このとき、石原氏は古いモラルを荒々しく打ち破る新世代の代表とみなされたが、その後の『亀裂』などの作品と併せて読めば、
初期の作品にすでに戦後日本がもつ奇妙な閉塞感が予感されていたことに気がつく。
著書に『太陽の季節』(新潮文庫、70年)、『わが人生の時の時』(新潮社、90年)、近著『弟』(幻冬舎、96年)などがある。
●高原須美子
(たかはら・すみこ)
フィンランド大使
一九三三年東京都生れ。一橋大学商学部卒。毎日新聞社記者、第一次海部内閣の経済企画庁長官を務める。
経済企画庁長官として、「生活の重視」をキャッチフレーズに掲げ、生活の質の充実を追求する結果、地方分権問題に行き着く。「企業社会から個人の確立が求められているように、住民もまた地域の傘の下で止まるのではなく、
独立した地域社会の担い手に自らを鍛え、自立した市民に変わっていかなければいけない」という考えをベースに、九四年、地方分権推進要綱をまとめ、内閣・国会に提出した。
そしてこれが、地方分権推進法として結実した。地方の時代といわれて久しいが、中央官庁の根強い抵抗ばかりが敵ではない。フィンランド大使として、北欧社会から地方分権について何を学んでくるのだろうか。
著書に『いきなり大臣』(講談社、90年)などがある。
●竹中平蔵
(たけなか・へいぞう)
財政金融担当大臣・元慶應義塾大学教授・国会議員
一九五一年和歌山県生れ。一橋大学経済学部卒。日本開発銀行、ハーバード大学客員研究員、大蔵省財政金融研究所主任研究員、大阪大学経済学部助教授、慶應義塾大学総合政策学部助教授を経て現職。
すでに一九八七年に、日本の一人当りの国民所得はアメリカを超え、いまは文字どおり生活水準の面でアメリカを超えようとしている。その意味で日米のあいだには、従来とはまったく違った新しい関係を構築する大きな転機が訪れている
(『THIS IS読売』94年6月号)とする。
そのうえで両国関係を考えるべきで、お互い「小国の論理」に囚われる危険を説いている。日本が魅力あるフロンティアになることが、二十一世紀のアメリカを引きつづき世界の市場経済のリーダーに留めることができる、と主張する良識派自由貿易論者である。
著書に『日米摩擦の経済学』(日本経済新聞社、91年)、『民富論』(講談社、94年)などがある。
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195
名前:
匿名さん
:2004/08/15 09:42
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●中谷 巌
(なかたに・いわお)
経済学者・一橋大学教授
一九四二年大阪府生れ。一橋大学経済学部卒。ハーバード大学大学院修了。大阪大学経済学部助教授、教授を経て現職。
規制緩和の推進論者である。日米資本主義の違いは、アメリカが「マーケット」なら日本は「ネットワーク」であり、ネットワークで結びついた企業間の長期協力取引がカンバン方式や効率的開発のデザイン・インを可能にしたと分析する。
日本型資本主義はたしかに効率的だが、世界の自由貿易体制を守る意味で国際的普遍性をもっているのかと疑問を投げかけ、ネットワークの開放、高収益戦略、企業行動の社会的チェック、情報公開、経営者の倫理確立などを課題に挙げる。
国際的普遍性をもった資本主義国とは、どこを指しているのであろうか。
著書に『日本経済の歴史的転換』(東洋経済新報社、96年)などがある。
●速水 優
(はやみ・まさる)
日本銀行前総裁・日商岩井元会長・現相談役
一九二五年三重県生れ。東京商科大学(現・一橋大学)卒。日本銀行に入り、名古屋支店長、理事を歴任。
その後、日商岩井専務、社長、会長を経て現職。前経済同友会代表幹事。
市場開放、規制緩和、行財政改革の必要性を訴える論理派経済人である。経済同友会代表幹事を退任したあとも、細川元総理、小泉元郵政相らの「行革研究会」に加わるなど政治への働きかけを続けるが、このあたりに日銀出身らしくない芯の強さを見せている。
日本経済が抱える課題として、■新興経済圏の発展による世界の供給構造の変化■成熟化■一部の金融機関・企業のバランスシートの問題を挙げ、
「市場でできることは市場で、市場でできないことを公的部門で」を基本原則に、市場経済のダイナミズムを活用すべきだという論調は、一貫している。
著書に『円が尊敬される日』(東洋経済新報社、95年)などがある。
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196
名前:
匿名さん
:2004/08/15 16:43
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あれだな、もう2ちゃんとか使って工作活動しまくるしかないか
勿論学歴板以外のところに書き込みまくる(ただし板は立てない)
誰かやってくれよ。俺はそんな下劣なことやりたくないから。
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197
名前:
匿名さん
:2004/08/15 18:35
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増田先生とか阿部先生なんて本当真摯に西欧研究やっててすごいんですね。
私は他大の者ですが一橋こそ日本で最高の大学。ほんらいの意味で大学と呼べる
数少ない大学だと思います。EUインスティテュートの結成式(?)もすごく良かった
らしいね。ブローディー
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198
名前:
匿名さん
:2004/08/16 03:46
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http://hit-u.ac.jp
一橋大学の沿革
1875年 森有礼(当時の文部大臣。日本初の文部大臣)、商法講習所を銀座尾張町に創設。
1887年 高等商業学校と改称する。
1920年 東京商科大学と改称する。
1944年 東京産業大学と改称する。
1947年 東京商科大学の旧名に復す。
1949年 国立学校設置法に基づき、一橋大学となり、商学部、経済学部、法学社会学部の3学部が発足。
1951年 法学社会学部が法学部と社会学部に分離、独立する。
1953年 商学研究科、経済学研究科、法学研究科、社会学研究科を擁して大学院が設置。
1996年 第五の研究科として言語社会研究科が発足。
1998年 第六の研究科として国際企業戦略研究科が発足。
2000年 日本初のMBAコースが国際企業戦略研究科に発足。
2001年 東京工業大学、東京医科歯科大学、東京外国語大学との四大学連合がスタート。
2002年 法学研究科に総合法政策実務定型センターが開設。
2004年 法科大学院が設置。
2005年 国際・公共政策大学院が設置予定。
東京商科大学=東京産業大学=東京商科大学=一橋大学です。
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