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創価大生に質問

25 名前:学会員P:2008/09/04 04:01
>>25さんへ
創価学会に限らず、歴史を紐解けば日蓮宗派は社会的に
問題視されていることが多いと思います。
それはきっと攻撃的で過激的な行動が危険視されてしまうからだと思います。
ならばどこからその攻撃性が生まれてくるのか。
日蓮宗の経典である法華経を読んでも私はその攻撃性を肌で感じることはできませんでした。
法華経はやさしさを感じる、きれいな文章で書かれているなぁとおもいます。
経典の中には誓願を示す部分もあり、厳しいなぁとの印象を受ける場面もありますが、
やはり攻撃的な思想が隠されているとは感じられませんでした。
結論から言うと、創価学会に代表する攻撃性というのは
日蓮上人のパーソナリティに求められると思います。
社会の最底辺で生まれた日蓮上人の生き方は、その身分の低さを気にもせず
まさに「自己肯定」をし続けた生涯だったと思います。
日蓮上人のこの生き方は
ある意味かっこいいですし、ある意味迷惑だったと思います。
逆に法然上人や親鸞聖人、それに釈尊は
「自己否定」をし続けた果てに何かを生み出した人たちだと思います。
「自己否定」をし続けるなんてのは
岩の牢屋で血へどを吐きながら、もだえてわめいて、
そうやって真実を求めていったということだと考えています。
わたしはどちらも間違っているとは思えません。

ただ、「思想には優劣がある」との考え方を根底に
法論によって相手を打ち砕こうとするのには疑問を持っています。
そもそも思想というものはそんなに役立つものなのでしょうか?
さらに付け加えるならば、仏法というのは宗派によって数多くありますので
「仏法の正しさを証明する」というのもよくわかりません。

なんだか疑問なのか愚痴なのかわからないような
つたない文章をだらだらと書いてしまい申し訳ありません。

わたしは創価学会に
「お前はこっちにつくのかあっちにつくのかどっちだ!」
と脅迫されているようにしか感じられないのです。
それがくるしいです。
別にどっちにつくとかつかないとかどっちでも良いです。
思想だとか宗教だとかに
派閥が生まれていることが、本当に歯がゆいです。
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