◆國學院大学日本大学の創設歴史について検証してみたい
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名無しさん
:2005/12/23 22:37
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明治維新の際、わが国の急..
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國學院大学の沿革
:2005/12/23 22:54
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明治15年の皇典講究所の創設
明治15年に創設された皇典講究所は、皇室の援助や歴代総裁宮をはじめとする関係者の努力により営々とその業績を築いてきた。
時代の進展とともにまず補充中学校を開設する。同校は「共立」「城北尋常」「城北」と順次名を改め、明治34年に「府立第4中学校」となり、昭和25年には「都立戸山高等学校」となり今日に至っている。
次いで、国法を専修する「日本法律学校」(現在の日本大学)を開設した。
明治23年の國學院の設立
「國學院設立趣意書」に詳細に記されているごとく、国史・国文・国法を攷究する本科3年と研究科2年の教育機関である「國學院」が設立された。
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國學院大学の沿革
:2005/12/23 22:56
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明治30年代の國學院大學
明治31年に財団法人の認可を受け、経営的基礎の確立を計られたが、明治35年、39年の2度の火災や創設中心者の相次ぐ死去によりその経営は必ずしも順調ではなかった。
明治36年9月、第一回卒業生を世に送った以後、経済的理由により自然休校していた研究科を再開し、明治37年専門学校令による専門学校に昇格。
その機会に大学部予科2年と大学部本科3年を設置。従来の国語漢文歴史科を師範部国語漢文科、歴史地理科とし、別に専修部を併置、三部制とした。明治39年6月には「私立國學院大學」と改称した。
大正9年の大学令による大学昇格と渋谷移転
大正7年12月の大学令公布に基づき、大正9年に大学令による大学に昇格。
大正9年4月2日付の東京日日新聞の記事によれば「臨時教育委員会は四月一日午後一時半より永田町文相官邸に於いて開会、一木副会長、山川、木場、沢柳、神野、平沼、関、金杉、鎌田、岡野、江木、三土各委員、中橋文相、南次官、松浦専門学務局長出席、
前回に引き続き明治、中央、日本、國學院、法政、同志社の六私立大学を、新大学令により設立を認可するの件を付議し、各委員より文部当局に対し質問或いは意見の陳述あり<中略>六大学昇格を認可すべきものと決議したり」とある。
また、学生数の増加に対処するため、大正7年に拡張計画に着手。大正11年10月、校地を渋谷氷川裏の御料地、現在の渋谷若木か丘に求め、大正12年5月に新しく竣功した新校舎に移転した。
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國學院大学の沿革
:2005/12/23 22:59
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昭和初期の発展と戦後皇典講究所の解散と國學院大學
昭和10年頃までの本学は発展の一途をたどり、本学の歴史の中でも「黄金期」というべき華やかな時代を迎えた。
しかし、第二次世界大戦後、GHQ(占領軍総司令部)は、神道指令を発し神社に圧迫を加えるが、
GHQの意図が神社神道から国家的性格を除こうとするもので、宗教としての神道を抹殺しようとするものではないことを知り、本学は信教の自由という立場から神道精神に基づく学校として財団法人となし、
合わせて経営母体である皇典講究所を解散させて新発足し、新時代の要請に応え得る大学への脱皮を図った。
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國學院大学の沿革
:2005/12/23 23:01
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昭和20年代の國學院大學
昭和21年、他大学に先駆けて男女共学制を採用。
昭和23年には新制文学部、翌年には政治学部(昭和25年政経学部と改称)と文学部第二部を開設。
昭和26年、学校法人國學院大學に改め、旧制学部第一部、専門部を廃止、政経学部第二部を開設し、大学院文学研究科神道学専攻・日本文学専攻の修士課程を開設、文学部神道研修別科を開設。
昭和27年には日本史学専攻の修士課程を開設。
また昭和28年には、旧制第二部文学部を廃止、日本文学専攻・日本史学専攻の博士課程を開設
昭和30年代の國學院大學
昭和30年「日本文化に関する精深な研究を行い、これを汎く世界文化と比較しつつ、民族的伝統の本質と諸相とを把握すること」を目的とした日本文化研究所を設置。
昭和33年には神道学専攻の博士課程を設置し、神道専修科を神道専攻科に改めた。昭和35年には、栃木県栃木市に栃木高等学校を開設(昭和38年姉妹法人として独立)。
昭和38年には、創学以来の懸案であった法学部第一部を開設した。
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