NO.10440200
わたしの東京大学物語!
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245 名前:匿名さん:2005/10/01 10:16
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思いっきり主観で述べたいと思います。
私も受験生時代、東大文一の他、慶応の「総合政策」という響きに惹かれていました。しかし後になって
「総合政策」は選ばないほうが良かった、と思いました。
別に慶応が悪い、というわけではありません。未だに慶応の法学部政治学科なら行ってよかったかな、など
と思ったりします。しかし総合政策なら行く気がしません。なぜか。最大の理由は「体系的勉強が出来そうに
ないから」。次の理由は「人脈の弱さ」。
私は慶応SFCのカリキュラムについてよくは知りませんが、大抵の政策系学部や院というのは、「学際」の
美名のもと、「あれもこれも手を出す」「選択科目が多い」ものになりがちです。総合政策ではありませんが、
東京大学教養学部後期課程もそのような問題を抱えている、と多くの卒業生が語っています。その結果、きち
んとした専門性をもてず、しっかりとした自信を得にくくなると思います。将来「君は何が出来るの?何を学
んだの?」と聞かれて何も答えることが出来ず、就職活動時、またおそらく首尾よく就職が決まってからも
桎梏のごとく付きまとうのではないでしょうか。何か資格をとろうにも一から学びなおさなければなりません。
何より問題なのは、「体系的に学ぶ」ことの効果が得られないことだと思います。法学のように体系のしっ
かりした学問を一度徹底的に学ぶことは、その後の、たとえまったく別分野の自学自習にも大変役立つのでは
ないか、というのが私の感想です。その根拠はうまく説明できませんが、法学ならば憲法・民法・刑法・民訴・
刑訴を軸に、商法・労働法・行政法などが複雑に入り組んでいます。一部つまみ食いするよりまとめて学習し
たほうが、それぞれの知識素養がつながって教育効果が高く、思考様式、といえばいいのでしょうか(法学な
らばいわゆるリーガルマインド)、一つの確たるものの見方考え方が身につきます。物事をある思考様式に
のっとって深く掘り下げて分析する力がつくのではないかと思います。「リーガルマインド」というのはかな
り意味のよくわからない言葉ですが、「進学する諸君へ」という冊子で高橋教授(憲法)がこのようなことを
述べておられる。「会議に出たとする。すると、会議の存在根拠、権限、召集手続、運営のルールがきちんと
されているか、といったことが気になってしょうがない。一般の人は議論の中身こそが重要であり、議論の進
め方のルールなど枝葉末節だと思うだろう」例えば経済財政諮問会議で、「枝葉末節」にこだわらないとどう
なるか。せっかく「骨太の方針」などを作っても、反対者が「会議の手続が適正でない」などとイチャモンを
つけだして、せっかく会議を開いた意味がなくなります。他人が気にしない「枝葉末節」に気づくのは、法的
思考様式があってこそです。
もう一つ慶応SFCを勧めないのは、「歴史が浅く、人脈が作りにくそうだから」です。「大学で何を学ぶか」
という本で、浅羽通明という人が、「大学で学ぶことに意味はない。しかし大学で一つの『世間』に入ること
には大きな意味がある」などと述べていました。大学を出ることで、一言で言えば人脈、学閥に自然と乗っか
ることになります。それがその後の人生に大きな影響を与えるのではないか、と思います。私は法学部で某
法律サークル(一つしかないけどw)に所属していて、OB名簿を持っていますが、ウン十年の歴史により政・
官・財・法曹等にすごい人がそろっています。私はその「世間」に入ったわけです。それはすごい財産だ、と
会社経営をやっている父も断言しています。東大でなくとも、慶応でも大した差はないと思います。しかし
慶応法と慶応SFCでは大きな違いがあるでしょう。SFC卒業生にはまだまだ有力な人物はいないでしょうから。
また、SFCはキャンパスが離れており、同じ慶応の学生と交流する機会も少ないでしょう。そういう意味でも
人脈を作る困難さが生じるのではないかと思います。東大でも、駒場と本郷で分かれているだけでも、なにか
と問題が生じているのです。SFCのような「隔離」状態ならなおさらでしょう。
正直言って、東大と慶応でさほど違いがあるようには思いません。しかし同じ慶応でもSFCは私はおすすめしません。
SFCの人間のコメント、求む。