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東大生は所詮がり勉

0 名前:名無しさん:2005/08/10 19:58
以上で検討してきたように最近の東大生の活動は、
どこにでもいるいわゆる「普通の」若者と同じように
見られたいという思いから発している。東大生は羨望と
同時に妬みの対象でもある。妬まれないためには謙虚に、
自分の頭がよいことを他人にひけらかさないように
しなければならない。もちろん頭がよいといっても、
それは学力テストという基準のみの点であるし、
東大生以外の若者でも同じように頭のよいひとは
たくさんいる。先述したとおり東大はあくまで象徴に
過ぎず、それを知っているからこそ、つまり東大生
であるということは、ただ自分は運よく「頭がよい」
と一般的にみなされている集団に所属するだけの
ことであると認識されるのである。


しかし、東大生はただ単に普通の若者と同じになりたい
と思っているわけではない。東大生であることによって
世間的には「頭のよい」というイメージを獲得している
わけで、それ自体は悪いことではない。問題は、
「頭がよい」に付随する「暗い」「がり勉」「オタク」
といったネガティブなイメージをどう払拭するかという
ことである。東大生は「頭のよさ」では普通になりたい
と思っていない。「普通でありたい」と願うのは、
例えばファッションであったり、スポーツであったり、
遊びといった他の分野である。

もはや「勉強だけができる」ではもてはやされない。
文武両道という言葉があるが、勉強以外の部分でも
人と同等以上あるいは優れている部分を得たいと
願っているのである。東大生ということで、頭がよい
ということは、例え形式的であったとしても保証された。
後は他の分野でも優れているということを証明したいと
思っているのだ。


東大生の中には、あえて自分が勉強のできないことを
アピールするものがいる。「試験勉強全然していない」
とか「レポート全然書いていない」といってことを
頻繁に耳にするが、ほとんどの人が結局はちゃんとやり、
ばっちり単位を獲得したりしている。ここにも東大生の
パラドクスが生じる。つまり、全然勉強していない、
といいながらちゃっかりいい成績をとっていることは、
自分は勉強しなくてもできるのだということをいって
いるようなものである。普通であると思ってアピール
したことが裏目に出て、逆に自慢へと陥ってしまうのである。

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