NO.10438057
拝啓 小原芳明学長先生
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0 名前:破邪顕正:2008/03/31 03:02
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はじめまして。私は、本学の一学生にして日蓮正宗の在家信徒の者です。本日は、
この場を借りて貴殿の学校経営方針について意見させていただきます。
貴殿は、幼児・児童・生徒・学生(以下、便宜上「生徒」と一まとめに表記させて
いただきます)の家庭から、必要以上の金を搾り取っています。これは、限度を超えた
金銭欲は絶対に悪という、御仏の教えに酷く背いた行いです。また、貴殿は生徒の尊厳や
主体性を軽視し、まるで自らの奴隷であるかのように扱い、権力の上にあぐらをかいています。
これは、庶民の幸福を第一に考えられた日蓮大聖人が最も嫌悪された事です。
そして、貴殿は外国人の方々を差別しています。このような時代錯誤の愚行は、
世界に開かれた日蓮正宗の立場からは看過できることではありません。
もしもこのような悪行を続けられるのならば、貴殿には今に仏罰が下ることでしょう。
強欲に溺れ博愛の精神を欠き仏法に背く輩は必ずや無限地獄に堕ちる。
これは天地創造以来変わることのない定めなのです。それに貴殿は、その悪行のために
多くの人々から恨みを買っています。その怨念が、いずれ貴殿に大厄をもたらすでしょう。
本来であれば、人から買った怨念や災いなど御仏が払ってくださるものです。しかし、
仏法を冒涜するものに仏のご加護などありえません。これも仏罰の一貫です。しかし、
本当の仏罰は死後に訪れるものなのです。地獄の業火が貴殿の身も魂も悉く焼き尽くし、
無残な灰へと変えてしまうのです。その時初めて、貴殿は自らの悪行を悔いることでしょう。
そして本当の仏法の厳しさを身をもって知るのです。しかし、その時ではもう手遅れなのです。
貴殿が救われる方法はだだ一つ。貴殿のもう残り少ない髪を全部剃って出家することです。
これしか貴殿に残された道はありません。 出家し懺悔し悪行からはすっかり足を洗う。
これさえ実践すれば、御仏は貴殿にもお許しを授けてくださいます。
しかし、それで完全に許されるほど仏法は甘くはありません。死後300年は業火に耐えねば
ならないでしょう。しかし、永遠の苦しみがたったの300年に減るのです。そう考えれば、
決して悪い話ではないはずです。それでも仏法に背き続けると言うのならば、
大変恐ろしい現実が待っています。大厄は子孫にまで及ぶことでしょう。
悪名高い貴殿がこの程度の誘いで改心するとも思えませんが、仏法を信じる心と
悪を許さぬ正義でもって、あくまで貴殿を折伏する覚悟です。
合掌。
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11 名前:破邪顕正:2008/04/02 02:54
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>>8 >>9 幸福の定義というか、何に幸福を感じるか、ということは人それぞれ違うと思いますが、
日蓮大聖人のお教えにおける幸福とは、人類に共通した幸福のことを指します。
生きている限り、人は誰でも、多く様々な苦難に直面します。しかし、それを乗り越えていかなければ生きていくことはできません。
苦難を乗り越えて、日々進歩していく喜び、即ち人生の価値を味わうということこそが、人類共通の幸福と言えるでしょう。
古い時代においては、天皇を神格化した神道や、江戸幕府が奨励し封建制度を支えた儒学、等に代表されるように、
権力者にとっての幸福、即ち庶民を虐げ権力者が甘い汁を吸うことのための邪宗が横行していました。
そんな中で、庶民のことを視野に入れて幸福を説いたのが、日蓮大聖人です。
人類共通の幸福ということは、即ち庶民もそれを享受できるということです。
庶民にとって最大の苦難は、権力に虐げられることでした。だからこそ、日蓮大聖人は権力を批判し、邪宗を挫くことの大切さも説いたのです。
現代でも、戦争や労働問題、人権侵害など、権力者の責任による不幸が人々の脅威となっています。
これらと戦い勝利し、人類共通の幸福を獲得しようというのが、日蓮正宗なのです。
朝起きて、御本尊様に向かって南妙法蓮華経の題目を唱える。これだけで、心が安らぎ、今日も一日頑張るぞという気持ちになれるのです。
そしてその元気を素にして、日常におけるささいな苦難から、社会的な問題まで、あらゆる苦難と戦うことが、日蓮大聖人のお教えの実践なのです。
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12 名前:破邪顕正:2008/04/02 03:04
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>>11にさらに付け加えますが、日蓮大聖人のお教えでは、自己の幸福だけでなく他者の幸福を考えることも重要とされています。
苦難にあえいでいる人を日蓮大聖人のお教えに帰依させ、共に闘って共に苦難を乗り越え共に勝利の喜びを分かち合う。
そのために信者でないものを日蓮正宗に勧誘する行為が、いわゆる折伏(しゃくぶく)です。
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