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山崎晃嗣とは何か

0 名前:名無しさん:2007/05/20 08:54
ぐぐったところによると

敗戦後、復学したときに、全優を目指そうとして、勉強づけの
生活を送った。しかし、良を3つ取ってしまい、全優でなかった
ことにショックを受け、<教授のきまぐれに依存する法律の成績
などに人生をかけるのは馬鹿馬鹿しかった>と日記に記した。
その後、自分の頭のよさを示そうと金融に手を出すが失敗し、
27歳のとき、青酸カリで自殺。
1 名前:匿名さん:2007/05/20 23:55
>自分の頭のよさを示そうと金融に手を出すが失敗し、
>27歳のとき、青酸カリで自殺。

あ、そうか! 
「借りを清算」して青酸カリで自殺したわけだ。 
2 名前:匿名さん:2007/05/21 10:27
借りを清算できなかったから代わりに青酸カリで自殺したんじゃね?
遺書も駄洒落だらけだったそうな
3 名前:匿名さん:2007/05/21 10:28
光クラブ事件(ひかりくらぶじけん)とは、1948年に東大生による闇金融起業が
法律違反によって警察に検挙された事件。「アプレゲール犯罪」の一つ。
概説
1948年(昭和23年)9月、東大生の山崎晃嗣(木更津中学-一高出身)は、友人の
医大生の三木仙他(日医大生)とともに、出資金を元手にした貸金業「光クラブ」
を設立した。社長は山崎、専務は三木、常務は東大生、監査は中大生であった。
周囲の目を引く画期的な広告を打ち、多額の資金を調達することに成功する。
集めた資金を商店、企業などに高利で貸し付けた。学生が、それも東京大学の学生が
中心となって経営を行っている(学士金融)ということが、業界で注目された。
開業4ヶ月後の1949年(昭和24年)1月には、資本金400万円、社員30人を擁する会社にまで発展する。
しかし、光クラブは、山崎が物価統制令違反で逮捕(後に不起訴)されると同時に出資者の信用を失い、
業績が急激に悪化。その後、他の業態への転換を図るも成功せず、1949年(昭和24年)11月24日、
約3000万円の債務を履行できなくなった山崎は、本社の一室で青酸カリをあおり、駄洒落を書き散らした
遺書を残して服毒自殺した。

ウィキ参照
4 名前:匿名さん:2007/05/21 15:03
終了
5 名前:匿名さん:2007/05/22 06:31
別に良いが元気がないみたいだ・・・・・
6 名前:匿名さん:2007/05/23 12:53
心配の必要はないみたいだぞ。

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