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NO.10440196

文系ってどうよ?

0 名前:理系:2005/03/30 05:57
魯鈍
96 名前:匿名さん:2005/04/28 06:09
>>88ワロス
97 名前:理系様@千葉県 持論は「蚊系は魯鈍」:2005/04/28 07:33
俺、ぶっちゃけスレ主なんだけどさ、魯鈍な蚊系はうざいんだよね。まあ正直俺も千葉大理系は100%無理なんだけどね。技術職に就けない蚊系よりマツだべw魯鈍な蚊系は逝って良しw俺は千葉県民の星なんだからな。
98 名前:匿名さん:2005/04/28 08:58
千葉大理系が無理ってところで、もはや・・・。言わぬが花か・・・。
つーか、蚊系荒らしさんは千葉大か?なんか、レスが村上と似てきたね。
99 名前:匿名さん:2005/04/28 09:05
別スレ見たらわかるけどトリップ無いのは偽物みたいです。
千葉工大ってのも嘘臭い。理学部が無いから。
100 名前:匿名さん:2005/04/28 09:18
>>99
やっぱ、便乗がいたか。千葉大は知ってるけど、千葉工大っていうのもあるんですね?
101 名前:匿名さん:2005/05/06 23:15
>>100 
>やっぱ、便乗がいたか。

これからは、大っぴらな便乗に対しては、「大便乗」という新語を創るべきだな。
102 名前:匿名さん:2005/05/07 02:46
ぶっちゃけ、ここだけの話、理学部の大半は「痢学部」「痢系」だよな?
一部の天才受験生・秀才学生・天才教授候補・ノーベル&フィールズ賞
候補・医学部上位半分だけが「理系」だよな?
103 名前:匿名さん:2005/05/07 02:50
ぶっちゃけ、ここだけの話、ほとんどの理系はポリテクニークならぬ
「ポリテクニート」だよな?繰り返して言うとこうだろ?
×:ポリテクニーク
○:ポリテクニート
あるいは
×:テクノクラート
○:テクノニート
だろ?
104 名前:匿名さん:2005/05/07 23:32
>>102
>理学部の大半は「痢学部」「痢系」だよな? 

と云うか、どこの学校を見ても、上位1~2割以下は、やる気の無い連中が殆どだよ。
東大も例外ではない。それにこれは、理系文系の違いにも関係無いと思う。
105 名前:匿名さん:2005/05/08 12:36
>>101
その新語、イクない。
>>104
普通は3 : 7 の法則だよ。どんなエリートを集めても、その中で7割がやる気を無くす。
これは証明されてるらしい。願わくば、3割の方になりたい。ここにいる時点でダメか。
106 名前:匿名さん:2005/05/08 16:57
ダメでしょうね。
107 名前:匿名さん:2005/05/08 19:04
いや、本人のやる気次第だろ。ここにいる人間全てが、やる気を無くした人間という、確実な根拠がない。憧れである東大生の方は、常に完璧であり、常にやる気を出して、前向きに進んでもらいたい
108 名前:匿名さん:2005/05/08 21:22
ここのスレの人々に、理系の立場から、文系の人に凄っくマジな質問を幾つか。

御承知の様に、自然科学では、物理学系の科学が「厳密科学」'Exact Science' と
言われています。それに対応して、人文科学で一番厳密科学に近いのは、「言語学」
と思うのですが、この考えは間違っていますか。

また、社会科学の中で最も厳密科学に近いのは「経済学」と思って良いのでしょうか。
(こういう事を言うと、法学者から怒られるかも知れませんが)

ついでに思い出した面白い質問: 物理学では「定数」'Universal Constants' という
ものが有って、それらは非常に重要ですが、経済学に於いては「定数」なるものは、
存在するのでしょうか。(勿論、ここでの定数とは、理論にも殆ど依らない定数です) 
109 名前:匿名さん:2005/05/08 23:40
経済学と物理学は似ているどころかほとんど同じ。
人材の交流も活発。「厳密科学」の要素が他より
多いかもな。「定数」もあるんじゃないの?
計量経済学なんて分野もあるし、金融工学みたいに
相当難しい数学使うところもあるから。

ところで「言語学」が厳密科学ですか。文系に厳密科学
なんてあるのかなあ?普通は数学と物理しかないでしょ?
110 名前:匿名さん:2005/05/09 02:12
>>109 
結局、言語学者の Noam Chomsky が、言語学を厳密科学の水準にまで高めた
という話を、どこかで読んだ記憶が有ります。実際、ウェブでも
http://www.janushead.org/gwu-2001/staal.cfm
等に似た文章が載っています。(興味有れば、もっと調べても良いですが。) 

また別の例として、William Shakespeare が書いたとされるあの一連の戯曲は、
実は、Francis Bacon によるものだという説が有りますが、それを著者の使う
単語の癖に基づいて調べる為に、両者が書いた文章で使われる単語のパターンを
コンピュータで分析したところ、大体中間の様な結果になったので、本当は「共著」
なのではないかという説が有るともどこかで読んだ記憶があります。

何れにしても、こういう元々は自然科学の厳密方法論を、人文科学に草分け的に
導入する文系の人を私は尊敬しますね。 
111 名前:文系さん:2005/05/09 05:24
 「厳密科学」ってそんなに素晴らしいものかね・・・
「厳密」にこだわるあまり、既存の思考の枠組に囚われている自分
というものを忘れてしまったり、何か大切なものを失っている気がする
んだがね。それはもちろん文系に限った話ではない。
 特に文系の学問を厳密科学に「擬する」のは好きじゃないなぁ。


>(こういう事を言うと、法学者から怒られるかも知れませんが)
 誰も怒らないと思うよ。なぜか。法学者は法学を「Science」
だと思っていないから。
112 名前:匿名さん:2005/05/09 08:25
>>107
貴殿は優しい方だ。頑張って、3割に入ります。
113 名前:匿名さん:2005/05/09 18:18
上のレスで「3:7の法則」って出てきたけど、
経済学だと「2:8の法則」「パレート最適」が有名だな。
114 名前:匿名さん:2005/05/09 18:22
シェイクスピアとベーコンが同時代の人間なら、有り得るな。
文学と哲学の専門家なら「謎解きシェイクスピア&ベーコン」
できるけど、俺にはそんなヒマも力量もない。
115 名前:匿名さん:2005/05/14 01:20
>>111 
>特に文系の学問を厳密科学に「擬する」のは好きじゃないなぁ。 

それを読んで急に思い出したが、日本とアメリカの一般人に対して、
「数学は社会にとって重要か?」という質問でアンケート調査をした所、
アメリカ人の70%位は「数学は社会にとって重要」と答えたのに対して、
日本人の場合には「数学は社会にとって重要」と答えた人間は40%程しか
居なかったそうだ。これは、少なくとも日本については、日常体験とも
一致していて、なんの不審点も無いだろう。(俺の場合には米も永いから、
このアンケートが両者の違いを反映しているのが良く分かる。) 

日本の一般人ではなく文系人ともなると、数学は自然科学にしか役立たない
と思ってる連中が圧倒的多数だろう。やはり、数学を哲学から発達させたり、
既に産業革命以前に統計学を自分達の手で発展させた西洋社会とは大違いだ。
日本では、未だに科学の方法論が一般人の心に定着せず、輸入品と言わざる
を得ない。

結局、>>111等には、正に日本の文系の問題を反映している気がしてくるなぁ。
116 名前:112:2005/05/14 02:34
>>115
 いい指摘をしてきましたね。

 法学部の大先輩に昔聞いたのですが、蒲島先生
http://politics.j.u-tokyo.ac.jp/
が呼ばれる前までは、東大法学部の政治学といえば、ほとんど
歴史と哲学だけだったそうです。
 私は蒲島先生の講義を受けたので、数的処理の重要性というのも
認識している(講義のなかで、自分の中の『常識』がひっくり返った
こともあった)んだけれども、一方で限界も感じる。
それは蒲島先生自身認識しているんじゃないでしょうか。政治なる
ものを純粋に定量分析なんてできるはずもない。ただ、定性分析
だけでは「思い込みの学問」になる危険性があるというだけで。

 要するにバランスの問題なんじゃないかしら。例えば、
比較優位の原理は理論的に妥当だと思うけれど、それをそのまま
完全に現実に適用するのは妥当ではない。なぜなら、例えば比較優位
の原理によると日本の農業はほぼ放棄しなければならない。
それは食料安全保障という観点からも不適切だし、
農業という生業を奪われた労働力がそのまま別の産業に吸収される、
などというのは空理空論でしかないでしょう?
(いままで鍬を握っていた人間が、いきなりIT産業に転職できる
わけがない、ということ)
117 名前:匿名さん:2005/06/03 05:39
>>116 
何故か、それを読んだら、欧米で流行っている次の冗句を思い出してしまった: 

或る学生が苦労して、或る難しい問題を解いて3という答えを得た。彼はその答えが
正しいかどうかを、各界の専門家に尋ねて回ったそうだ。数学者、物理学者、経済学者、
政治家、芸術家と弁護士に尋ねたら次の様な反応が有ったそうだ: 

数学者:「その正答は、'Giuseppe Peano'という大数学者の公理によって、厳密に3である。」
物理学者:「この超高速電算機に拠れば、99.9999999% の信頼度で、正解は3に近似できる。」
経済学者:「先ずやるべき事は、正答から得られる利益と、誤答に因る費用を比べる便益分析だよ!」
政治家:「出た答が正解かどうかは問題じゃない。一番重要なのは、その答をどれ程多くの人々が
支持するかなのだ。例えば、世論調査の結果等を調べると良い。」 
芸術家:「そもそも、その答えは奇麗に見えるかね? そして、君はその答えが気に入ったかね? 
もしそうなら、それは正答に違いない!」 
弁護士:「君は、正答を一体どれ位にして欲しいんだ? そこから話を始めようじゃないか!」 
118 名前:匿名さん:2005/06/10 19:01
ここで東大文系の人への問題: 
>>117の台詞に習って、「喜劇役者」、「超能力者」と「文系学生」の台詞をそれぞれ作成せよ。 
119 名前:匿名さん:2005/06/20 00:52
>>118 
喜劇役者: 「答が出たか? オオ~、ソレ見よ! 三たる値や! サンタ~ルーチヤ!」 
超能力者: 「3という数は、どの占星学でも縁起の良い数だから、恐らく正解と思われる。」 
文系劣等生:「そんなもん答えが間違ってても、担当教授の自宅へ酒を持って行って、
       点数を上げて貰えば良いだけの話じゃね~かよ。」 

ここで、文系優等生の台詞も欲しい所だが、結局、>>117で数学者と物理学者以外は、文系人と考えて良い。
それとも、何か別の案が有りますかな。 
120 名前:匿名さん:2005/06/24 14:37
東大生は俺の周りも含めて文系をバカにする傾向があるよな。
正直理系・文系のくくりは東大に関して意味が無いと思うが。
文系がいなきゃ理系は仕事ももらえない。
理系がいなきゃ文系は生活できない。
難しい議論はいらない。
簡単なこと考えようぜ
東大に入ると何か考えが複雑になってくよな
121 名前:匿名さん:2005/06/24 14:41
東大生に文系を馬鹿にする奴はいない。
その傾向は京大の方が顕著であると思う。
東大は理?の偏差値は言わずもがなであるが、
文系の方が華やかな功績がある。
122 名前:まさお:2005/06/24 14:46
科学は生活を豊かにするためにあり、文学は心を豊かにするためにある。
と思っているのは、私一人ではないはず。
123 名前:匿名さん:2005/06/24 14:49
まさおさんって何者ですか?
正論ですね。
124 名前:匿名さん:2005/06/24 19:06
>>122 
んじゃ~、人文科学は~? 
125 名前:まさお:2005/06/25 01:53
>>124
人文科学は作家の思想を調べる研究でしたっけ?
作家の思想を作家の置かれた状況や時代背景を調べることによって
なぜそのような考えに到ったのかを発表すると、
それを知った人たちは作品を読むときに、ただ感動するだけでなく、
もう一歩深い知的満足感が得られるのではないでしょうか。
余り詳しくないのでこれぐらいで勘弁を。
126 名前:匿名さん:2005/06/25 09:20
文学は単純に詩歌・戯曲・小説など文芸作品を研究する学問ではない。
学問的分類における文学=人文科学とは自然科学・社会科学以外の学問、
すなわち、史学・社会学・哲学・心理学・宗教学など諸分科を含めた称である。
そもそも人がこの世で生きる上で遭遇する悩みや苦しみを解決したいという
思いから生まれたのが学問である。
文系対理系、のような、あるいは理系の陥りがちな、自己中心的世界像、
馬鹿素朴実在論は無知な輩の妄言に過ぎない。
社会に何の貢献もせず、単に己の知識や算術における計算力を誇るだけの
人間はただの奇人変人、気色悪いオタクでしかない。
127 名前:匿名さん:2005/06/26 00:00
>>126 
「文学」には史学・社会学・哲学・心理学・宗教学等の諸分科も含まれるのは
知らなかったですね。それが、広い意味での、文学 (humanities) でしょうけど、
あまり日常的一般的には使われないという気がします。(広い意味での文学は、
やはり「人文科学」と呼ばれると思うので。) 

また、あんたさんの言葉での「社会に何の貢献もせず云々」の人には、例えば、
「売れない作家」の様な人も入るのですか。その時代や特定の社会で不遇の人の
評価というのは、凄く難しい事だと思います。おっしゃる事は分かる気もしますが、
一方で、そんな一緒くたの扱いで、本当に良いのかという気もして来るのです。 
128 名前:匿名さん:2005/06/26 03:43
古代ギリシア
 プラトンの『国家』では哲学の予備学として、文芸と幾何学の学習が必須である。
 これは自由人としての教養であり、手工業者や商人のための訓練とは区別される。

古代ローマ
 ・自由人の諸技術(artes liberales)*これを英訳したものが「リベラル・アーツ」
 ・手の技である機械的技術(artes mechanicae)

ローマ時代末期(5世紀後半から6世紀)
 自由技術は「自由七科」(septem artes liberales)として定義された。

自由七科
 ・主に言語に関わる「三学」 (trivium) =文法・修辞学・論理学
 ・主に数学に関わる「四科」 (quadrivium) =算術・幾何・天文・音楽

欧米では哲学はこの自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられ、
さらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。

結論
 ・学問習得には文学も数学も不可欠で、文系、理系の対立は無意味です。
 ・大学は就職予備校ではありません。
129 名前:匿名さん:2005/06/26 16:05
質問です
経済学部の講義では数?・Cやりますか?
130 名前:匿名さん:2005/06/26 21:55
>>128 
>・学問習得には文学も数学も不可欠で、文系、理系の対立は無意味です。

じゃ~、例えば、東大理学系の大学院入試では、分野に限らず第二外国語まで試験されるのに、
東大の文系大学院入試では、分野に無関係に数学もちゃんと試験科目に有るの。

「いや~、文系では数学なんて、特定の学問分野でないと重要でないので」云々? 
>>128で言ってた奇麗ごとが、いつの間にか逆転してしまうのが、御決まりのパターン?!  
131 名前:匿名さん:2005/06/26 22:47
>>130 
確かに以前は、東大理学系大学院の入試には、第二外国語の試験も有ったが、今は無い。
その上に、定員が何増倍化したので、東大理学系大学院に入るのは随分と簡単になった。
学力低下の問題は、大学入試だけでなく、大学院入試にまで及び始めているのだろう。
但し、東大の経済学部大学院入試では、数学も必須だと思う。 
132 名前:匿名さん:2005/06/27 15:29
>>129
 教養で数理科学I・IIを取ってください。要望科目です。
(内容は数?・C)
133 名前:匿名さん:2005/06/27 18:29
>>130
語学を文系科目と捉えているの?
とても駒場で2年過ごしてきたとは思えないね。
134 名前:匿名さん:2005/06/27 19:29
>>133 
「語学が文系科目」と見なすかどうかは、 
駒場で2年過ごしたかどうかとは独立の問題だろう。
その辺を曖昧にしているようでは、>>133は東大関係者とは思えないね。
135 名前:匿名さん:2005/06/27 20:14
文系大学生の就きたい職種のトップは商品企画・設計・開発らしい
あとはデスクワークが人気らしいけど
確かに設計なんかだと冷房効いたオファスビルでマターリ仕事出来るよねw
スキルもドキュン営業、小売、外食と違いめちゃ付くし
ちなみに就きたくない職種トップは営業らしいよw
大学での勉強が全く生かせ無いから、或いは仕事きつく離職率高いしスマートなホワイトカラーじゃないからだってさw
文系の連中は進路間違えたよなw
♂文系じゃ営業接客出来なきゃ工員かタクシードライバーぐらいしか仕事ないよ
まあ誰でもわざわざ大学出てまでサビ残、ノルマ、接待地獄の営業や外食小売とかはやりたくないわなw
純粋な事務仕事は女はともかく野郎じゃなかなか採用してないしねw
事務仕事は社労師や税理士程度の資格でも無いと一生食えないからね
それと文系からじゃSEみたいな室内土方は可能でも高度な技術職は無理やからw
製品企画開発なんか文系の奴には無理よw
東大生にはあまり関係無い話かもしんないけど
136 名前:匿名さん:2005/07/16 22:52
東大文系の人に関係有りそうな、日本の国際性の問題についての提案が有ります。

例えば、日本の観光地の標識などは、もっと多国語化出来ないものでしょうか。
先進国の内で、これほど観光地標識の多国語化が不十分な国は、日本だけでしょう。
これはやはり、文系の人達の責任だと思います。特に、地方公共団体の方々は、
もっと真剣に考えて頂けませんか。

これに対して、直ぐに来る反論は「日本は、G7の中でも唯一のアジア国だから」とか、
「歴史的地理的にも、日本は永く孤立してきたから」とかいう言い訳的なものだけです。
しかし、これだけ日本人が海外旅行をしていて、一体、何を見て来ているのかと思います。
(実は、殆どの日本人には、英仏独伊西語等の区別も無く、全部同じ英語に見えるとか)

結局、日本を訪れる外国人も、標識等のお粗末さや、一般人の外国語力のレヴェルに散々
落胆して、帰国後もろくな評判を広めず、観光客も増えないため、観光地も多国語化の
必要性も感じないという悪循環に陥っていますね。(私は在米ですが、今迄、一体何人の
欧米人に日本人の外国語の下手さについての、遠回しな苦情を聞きましたことやら。)

これは、東大文系のカリキュラムにも起因していると思います。私が居た頃ですら、駒場では、
理系はちゃんと第二外国語まで必須でしたが、それは文系の人と同じだったと思います。
しかし、こんな時代の文系なら、第三外国語位まで必須にしても良いとすら思うのですが。

日本の多国語標識について、何の必要性も感じない文系の人は、今日の読売新聞の記事:
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050717i301.htm
を参照下さい。この記事は、単なる氷山の一角だと思います。正直言って、こういう対策は、
昨日今日でなく、20~30年前にとっくに終わっていたハズの事だと思っていたので、この記事
を見て非常に驚きました。こんな事では、日本の経済がパッとしないのも無理は有りません。
137 名前:匿名さん:2005/07/17 02:42
文系と理系といっても、大学レベルでは比較しても無駄だ。
「何を勉強したいのか?」を決めると、ツールを選ばなければならなくなる。
ツールは、学問ごとに数学だったり、統計学だったり、語学だったりする。
しかし、どの分野でもトップになるためには、完璧な知識が要求される。
大学院出の職なし分布率は、これまで見てきた限り、ほぼ同じ。
世の中には、「文系主導論」というものがある。類書は多いから、読んでみな。
「学力低下」が社会で問題になっている。東大も例外ではない。
文理両方とも、大学生のときは、乱読すること。
138 名前:匿名さん:2005/07/22 08:42
東大の教育学部行政コースってどんな感じなんですか?
139 名前:瞑想中:2005/07/22 18:56
HPを見たりあとは駒場の一号館の進学情報センターも資料見てみるといいですよ。
140 名前:匿名さん:2005/10/26 00:56
東大文系の人達は、もっと面白いオリジナルな話題で議論をしませんか。
私は、東大理系ですが、文系の人って、もっと活発に議論するのかと思ってました。

今、思いつく話題としても、次の様なものが有ります。
最近では、コンピューターで要約も簡単に出来る様になっているのは常識で、
長い文章を与えるとコンピューターが短い文章にまとめてくれます。

そこ迄は大した事は無いのですが、それと全く反対のプロセスを、
コンピューターで行なう事を、文系では誰一人として考える人は居ないのでしょうか。
つまり、短い文をコンピューターに与えると、それを長い文章に拡張してくれるわけです。
或る短い文の主張を入力すると、コンピューターが色々それを支持する実例などを
ウェブなどから拾って来て、拡張した文章を創り上げるわけです。

多分、文筆家等は、職を奪われる気がするので、そんなソフトを嫌うでしょうが、
レポート等に追いまくられている学生にとっては、涙が出る程に有り難いものだと思います。

この話題をもっと面白くするために、次の様な冗句を考えて見ました。
コンピューターが二つの異なった話題をランダムに選び、それを関連させて、
長い文章を作成するソフトを創ると、奇想天外な文章が次々と登場する事は疑いないでしょう。
勿論、機械のする事なので、95%位は「駄作」でしょうが、残りの5%位の価値は大きいでしょう。

例えば、コンピューターがランダムに二つの現代的な話題「ノーベル賞」と「積極的差別是正措置」を選び、
それらを関連させて、「何故、ノーベル賞には、人種に関する積極的差別是正措置が無いのか?」
という突拍子もないテーマで文章を作成するのです。 

こういうソフトは、私達の生きている間に可能になるかも知れないと思います。
どうですか、東大文学部の人々も、理学部や工学部と共同で、こんなソフトでも開発して見ては? 
ソフト部門が遅れがちな日本も、こういう企画を契機として、世界をリード出来る様になるのではと思います。
141 名前:エリート街道さん ◆6z00sOUM:2005/10/26 16:38
事例を入れると自動的に妥当な結論が出てくるソフトがほしいよ
142 名前:匿名さん:2005/12/18 17:35
魯鈍ってなんすか?
143 名前:エリート街道さん ◆6z00sOUM:2005/12/19 03:05
>>142
広辞苑嫁
144 名前:匿名さん:2005/12/19 12:49
理系は問題演習くりかえしてるだけで文系と同じ
145 名前:匿名さん:2005/12/27 04:22
東大や日本の文系の人達への疑問として、最近特に強く感ずるのは、
日本が政治の分野で、世界に先駆けてやった名誉な事、また、それに基づいて、
実際に世界をリード出来た事で、一体、何が有ったのかという事だ。

日本は、政治の分野では引っ込み思案で、米に盲目的追従の事大主義だというのは、
今や、国際的な定評になってしまったのではないか。 

「戦争が今にも起こりそうだった緊迫した情勢だったのに、
日本が出て来て当事国を調停したため、一変に戦争が回避された!」
ぐらいの事も有ったって良い時代じゃないか。 

日本は、軍事的には殆ど寄与が出来ないのだから、平和主義で一貫すれば良いのだが、
そんな事を国際的に提唱できる政治家すら、ただの一人も出て来ない。
これは、主に日本の文系の人達の無責任さの現れだとも思う。
いや、文系だけの責任ではなく、日本人の外国語に関する劣性の現れなのかも知れない。

一番悪い事は、日本のこういう問題を改善しようという声が主流になって来ない点だ。
こんな事では、今の日本の醜態は、今後50年~100年は続くと思う。 

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