NO.10430316
教科書問題
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0 名前:?壽屋:2013/04/10 08:31
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戦後民主主義教育で左翼歴史教師により何が教育されたかを検証する意義は大きい。私は 当時を知る生き証人として当時の児童生徒の単純にして深刻な偏重教育の実態を知っているが改めて歴史的史実に基づいた検証を求めたい。
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1 名前:?壽:2013/04/10 08:43
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戦後六十有余年を経て、偏重教育が作り上げた人間像と私達固有の歴史の否定、及び価値観の歴史と経済、政治、教育観を史実を踏まえ冷静に検証する必要性が在る。
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2 名前:?壽:2013/04/10 09:20
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特殊な文化論が家庭教育で育てられたと云う事実とその重要性を私と云う存在を通し再考して頂けたら本望で在る。次に 当時の所謂真面目とされた児童生徒程、 自国の文化に自虐的認識が教育された事実を問題視して頂きたい。
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3 名前:?壽:2013/04/10 09:32
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それ故学童ながらインテリ層により語られる自国軽視、米国礼讃、地域文化と日本文化との断絶、を通し違和感を持ったのも当然で、年を経るに連れ、自我が形成されると同級生と没交渉、学習意欲の減退に成らざるを得なかった事も合点が行くと思う。
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4 名前:?壽:2013/04/10 09:46
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初等教育に於いて漠然と抱いた学校教育に対する不信感は、 中等教育に至っては 拒絶反応に至った事実を教育界は真摯に受け止めて欲しい。 当時同級生達が誠しやかに何が語られていたか?私は耳を疑った。
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5 名前:?壽:2013/04/10 09:51
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彼等は平気で自国を蔑視し、自分達はアメリカ社会、アメリカ人に成る事が正しいと口にしていたのだ。私は当然孤立の道を選ばざるを得なかった。当時の知識人の名前も挙げる事も出来るが敢えてそれは避ける。彼等も犠牲者だからだ。
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6 名前:?壽:2013/04/10 10:03
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私は中等高等教育期間、唯耐え忍ぶしか手立てが無かった。 彼等とは離反するしか存在を保持出来なかった。私はそれら知識人に復讐すべく唯、時を待った。中等教育期間、彼等が東と言えば西。英語と言えば数学、と云う抵抗しか無かった。
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7 名前:?壽:2013/04/10 10:09
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稚拙故の事では無い。その年齢で社会と反目するには限界が在ったからだ。私は孤立の道を選んだ。 私は価値観を父により与えられ、それ故の抵抗とは当時の私には解らなかった。 唯、群れない、それしか私は自己肯定の術は無かった。
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8 名前:?壽:2013/04/10 10:21
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私はインテリ層に反撃出来る強力な思想を模索せざるを得なかった。私はそれを限られた必要最低限の知識で得ようとした。従って学校教育は拒絶し、時間と云うフィルターを通し残り得た真に知識に値する近代文化の吸収が近道と本能的に悟っていた。
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9 名前:?壽:2013/04/10 10:36
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中等教育期間、私の自負の由縁を訝しんだ級友にからかわれた時も有ったが私はそれを口にしなかった。私が朧気ながら私の道を自覚したのは高等教育期間で在るが、それを可能にしたのは実業学校にいた同族の存在、つまり独学をよしとする校風が当時有ったからだ。
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10 名前:?壽:2013/04/10 10:49
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私達進学組は大っぴらに授業を無視しそれぞれの独学に励む事が出来たのは私達の事情を理解してくれた教師間の黙認故だろう。私達の学習態度は明らかに教師蔑視だった筈だ。試験期間だけの勉強、そこそこの成績、多分それが黙認の許容に向かわせたと思う。
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11 名前:?壽:2013/04/10 11:02
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生徒副会長のX君や少数派の私達は就職組とは別の歩みを進めていたが私達は阻害されず済んだのも学校とは学びの場で在り、学習態度よりその姿勢こそ重視すべきとの学校側の配慮在っての異様な光景だった気がする。
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12 名前:?壽:2013/04/10 11:10
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私達は放任と云う自由を手に入れ、X君は受験勉強、私は読書三昧と云う環境を満喫した。流石に私の受験勉強の無視と読書三昧は両親に危ぶまれたが父が父だったので私はそれ程の否定的教育もされず受験勉強は予備校からと云う態度を認可されていた。
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13 名前:?壽:2013/04/10 11:21
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予備校時代共に過ごした慶應に進学したM君などは三茶と云う同じ地域に住んだ事も在って交友関係は三年続いた。名称は正確では無いが商学部の講義の概略を彼から入手出来、それ故交通経済学みたいな知識も得る事が出来た。
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14 名前:?壽:2013/04/10 11:31
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予備校時代の受験知識は雲泥の差は有ったが私は、中央に進学したX君とは神田、高田馬場、新宿と言った書店や古本屋に散策し、共に読書を通じそれぞれの立場を論じ合えたのも独自の人生観を尊重してくれたからだと思う。
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15 名前:?壽:2013/04/10 11:45
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大学時代、E.S.S.には半年しか在籍して無いが、当時ディスカッションで東大と交流が在り、彼等との交流を通し内心感じた事は同じ青年層だと云う認識だった。教育とそれを包括する思想とは別質で在ると云う認識だ。
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16 名前:?壽:2013/04/10 11:59
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その年の暮れバイト先で知り合った中央に大学で何をやっているかを聞いた私は作家業に遅れを取った事を知り、退部届けを出し、同じ学部の仲間と文学ゼミを立ち上げ、顧問を依頼した岡崎助教授の下で教養とは何かの薫陶を受ける。
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17 名前:?壽:2013/04/10 12:23
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四年時には金関教授の講義を受け痛く感化された次第で在る。又、日本スタインベック協会に入会して学会の内部を知ったり、磯田先生を岡崎先生が招いて下さり公演して頂き、充実した学生生活を送れたと思う。
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18 名前:?壽:2013/04/10 13:01
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教科書問題を考える時、学問の本質から捉えると分かり易い。その目的が何に有るか生活から普遍的に捉えると、政治目的か経済目的か判断し易い。私のような生活者としての視点に立つと為政者の目論見は容易に看破出来る。
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19 名前:?壽:2013/04/10 13:07
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つまり、米国、中国、韓国、その他の国の教育に於ける効用が透けて見える訳で在る。時代の変遷と共に浮かび上がる国際状況と密接な関係を持つ各国の政治経済と大衆誘導の観点が良く理解出来るので在る。
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20 名前:?壽:2013/04/10 13:13
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教育現場は絶えず政治経済に翻弄され続ける訳だ。分けても近年の政治紛争の基を辿れば教育現場に行き着く訳だ。私達は改めて戦後民主主義教育を検証する必要性を共有すべきと実感する筈だ。
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21 名前:?壽:2013/04/10 13:21
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近年日本が置かれている問題とは何かを理解する上で防衛をも含めないと経済を見落とす危険性を孕む事を子供達に教えるべきだと私は考えている。二十年に及ぶ不況は防衛と経済を考える上で無縁では無い。
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22 名前:?壽:2013/04/10 13:29
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増してや中国、韓国、北朝鮮を考える上で国の存続を彼等はどう捉えて来たかを歴史を遡って指導すべきだと私は考える。私は敢えて解答を公開しない。それらは教育者間、歴史、児童生徒、経済界が取り組むべき課題だと思うからだ。
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23 名前:?壽:2013/04/10 13:37
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領域を超えた将来的見地に立った教育をどう捉えどう取り組むべきかを日本国民全体で討議すべきだと私は考える次第だ。戦後民主主義教育は明らかに偏重教育された面が強く、今後このような押し付けにも負けない教育観を教師に自覚して欲しいからで在る。
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