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NO.10423049

中大駿河台回帰

937 名前:名無しさん:2005/08/29 14:28
>936
>茜壷、カシュミール、丘、田園、世界。。。

茜壷、カシュミールは知りませんが、あとの3つは何度か行ったことがあります。
私(たち)がよく行ったのは、梨苑、バロン、ハイライト、神保町のラドリオ、ミロンガなどです。
自分でもなぜか分かりませんが、白門には一度も行かなかった。

>学生運動の拠点校としての

左だけでなく、右の拠点校でもあったようで、
入学して間もない頃、中庭で黒のレインコートに黒と赤のヘルメットの一団がいた。
黒ヘルには学協、赤ヘルには解放と記されていて、
首を傾げる私に、傍にいた先輩が、あれは右翼だよと教えてくれた。
自民党の源田実氏を度々講演に招いていたのではなかったか。

中大の生協は、日本生協連に加盟していて、活気があり、サービスもよかった。
他大の生協はほとんど大学生協連系で、無愛想、碌に値引きしない、サービス精神ゼロだった。
中大はブックカバー、紙袋、手提げ袋などChuo Universityのロゴの入った専用デザインが
洒落ていて中大生でよかったと思った。時々新しいデザインの公募もしていた。
私が卒業する頃には、ロゴ入りハンカチやネクタイ他多数揃えていて、卒業するとき色々買い集めた。

もし生協が左翼の手に渡っていたら、それらがすべてなくなり、
他大と同じうんざりするような共用ブックカバーなどを使う官僚生協になってしまったろう。

>>936
>そうやって中央大学を駿河台から追い出した訳だ

あの時代の学生運動に対してはほとんど素通りしてきた者ですが、
あれが中央大学を駿河台から追い出したというご説には戴けませんね。
普通の大学なら順次校舎を改築や修繕していくのに、
また改築のスペースや仮設校舎の設置場所なら十分あったのに、
あの当時の当局者はまったくそれをしていない。
彼らの頭の中は脳内お花畑に向けて一直線だったのでしょう。
例えば床に固定して持ち出せない机と椅子など、学生運動対策ではあるにせよ、
よく指摘される閉鎖性とともに、むしろ管理する側の都合ばかり優先している。
彼らの頭の中にある種の理想があり、それは多摩でこそ実現し、
それに較べれば駿河台など無価値だったのでしょう。
そういうことに対する恨み言はあって当然ではないでしょうか?
936氏の「二度の人生があるならば」というフレーズを借りてたらればの話をするなら、
中央大学に二度の機会があるならば、いかなる妄想を抱く当局者であっても、
駿河台を捨てたりはしないだろうと断言できますね。

かつて水道橋の昭和第一高校の後ろに、学研連の校舎があった。
ちっぽけな土地建物だったのに多摩移転のために売ってしまった。
真法会の向江璋悦会長(当時)が、多摩校舎開校間もない頃、
後輩の指導に行ったら校内への立ち入りを拒否され、
「あの大学はだれのものか?」と憤っていたことがありますが、
そういうあり方は批判されて当然だろうと思うわけです。
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