★京産の開学の経緯★
太平洋戦争前に在った官立神宮皇學館大学の再興期成会による日本精神の復興が改めて必要であるという考えから、
船越正道(皇學館大学助教授)・岩畔豪雄(元陸軍大佐・初代世界問題研究所長)・小野良介(学校法人初代理事長)を中心に開学が準備された。
当初は京都府福知山市に開学予定だったが、土地の手当てがつかず北区の現キャンパスに1965年開学。
初代総長には大石義雄を予定していたものの定年退官を翌年に控え就任を固辞し、結局荒木俊馬が就任した。
これらの開学の経緯を基に清水一行が 『虚構大学』 を著している(ちなみに主人公のモデルは小野)。
まあ、憲法学者の大石先生より、今となっては宇宙物理学の権威だった
荒木先生の方が、創立者としては良かったんじゃないかな。
なんか京大理学部の血を引くって感じで。
その当時は大石先生や今年亡くなられた柏先生の方が人脈も
豊富で力あったんだろうけど。
ちなみに大石さんの息子は京産の大学院出て京都の某私大で
教鞭を取ってるんだけど、京産に戻らないのかな。
柏さんの息子さんも一時、京大で教えながら京産で講義を持っていたし、
荒木先生の息子さんは京産教授で定年して名誉教授になっているし。
岩畔・荒木・大石・柏に学校実務家の小野さんがいて異例なスピード
で総合大学化(彼らの引退や高齢化による老害が80年後半から90年頃
の停滞が発生した面もあるんだけどね)ができたわけだけど、結局、
創立者の名前だけが、大きく残るんだよなあ。
岩畔雄豪雄さんは元陸軍少将ですよ。アメリカとの戦争を避けるために懸命
の努力をされた方ですが、東條に嫌われ南方戦線に飛ばされます。山下奉文
のシンガポール攻略に近衛連隊を引き連れて参加しています。有名な「青シ
ャツ部隊」がそうですよ。大佐といえば岩畔さんが開学2年目に招聘したの
が元関東軍作戦参謀の草地貞吾さんです。この方、シベリアに11年も抑留さ
れた方で、部下には有名な瀬島龍三氏がいましたね。あと、船越正道さんは
山下奉文最後のフィリッピンでバルテ峠の激戦を生き抜いた方で陸軍中佐で
した。体の大きい方で、元横綱「琴桜」を中学時代に鍛えたことでも有名で
した。草創期の大学にはかように歴戦の「ツワモノ」がいましたが、今はそ
の反動で、見るべきものはありませんね。大石義雄さんのお墓は泉涌寺、荒
木俊馬さんのは相国寺にあり、二人の「矜持」の違いを痛感しますね。
名無しさん、初代学長は大石センセの方がよかったですよ。アラキさんには
京帝大理学部の残滓を感じますね。「731部隊」の石井もですが軍を牽引した
責任者としての「陰」をお持ちでしたね。いわゆる「風船爆弾」ですよ。
B29が片田舎の和紙の生産地を猛爆した根拠がここにありますね。このトカゲ
尻尾みたいな「陰」を見られないようにせっせと「箱物」ばかりこしらえたの
ではありませんか。や張り「虚構大学」ですね。早晩「新星爆発」しそうです
よ。
名無しさん、初代学長は大石センセの方がよかったですよ。アラキさんに
は京帝大理学部の残滓を感じますね。「731部隊」の石井もですが軍を牽引
した責任者としての「陰」をお持ちでしたね。いわゆる「風船爆弾」です
よ。B29が片田舎の和紙の生産地を猛爆した根拠がここにありますね。この
トカゲ尻尾みたいな「陰」を見られないようにせっせと「箱物」ばかりこし
らえたのではありませんか。や張り「虚構大学」ですね。早晩「新星爆発」
しそうですよ。
書き込みをするには、注意書きをよく読んでからにしてください